書きがちな物語

駄文をたっぷり公開する自己満ブログにするつもりです。

前田、ついにブログを始めてしまう - 前談

 

自分では、はい。こう書きました。はい。

 

でも実際はどうだ。まず、あまりにも自分から本腰を入れすぎてしまっている。

当初に設定した30分の時間制限すら忘れ、いつの間にか他のやるべきことを犠牲にして書いているばかりだ。それも、何らかの大義名分のためであり、没頭というより義務感に押されて、鬱憤を膨らませながら書いている。

「毎日更新」を謳っていたにも関わらず、疲れて動けない日は考える事すら避けてしまう。逆に、書き始めれば、臆病すぎるが故の完璧主義が顔を出し、更新するのはいつも深夜。

文章のクオリティーという意味では「駄文」かもしれないけれど、あくまでこう、「雑なアウトプットの量を増やしていこう」という目的のブログとしては、あまりにも力み過ぎてしまっているのだ。くそ、ボイトレでも力み癖を指摘されたのに。

 

というわけで、今日は自分なりに、いつも力み過ぎている筋肉を、叩いてほぐして弛み切らせた文体で書いている訳だが、いかがだろうか。

 

ところで、予想通り過ぎた三日坊主っぷりを無視した上で、これまでのブログを読みなおした。また、これまでしたためてきた脚本やレポートなども振り返り、自分がどんな文章を好んで書いているのか、傾向を探ってみた。

結果、多分こういった物語を書くことが好きなんだろうな、というものが判明した。

 

一つ目は、寓話である。以下の記事に同じような傾向がある。

 

furukawa-maeda.hatenablog.com

  

furukawa-maeda.hatenablog.com

 

寓話というより、例え話と言った方がニュアンスは近いかもしれない。

「うさぎとかめ」は油断大敵をテーマにした寓話で、うさぎは「油断」の象徴、かめは「努力」の象徴だから、最後は油断せずに努力し続けたかめが勝利した、みたいな分析をするのが楽しい。

だからこそ、逆に何か難しくて話を聞いただけでは実感が湧かなそうな話題を説明する時は、自分なりの創作寓話を用いて説明しようとすることが多い。よく知人から「例えが多すぎて逆に理解できない」と文句を言われることもままある。

昔から絵本や児童文学、星新一ショートショートが好きなことも影響が大きいのかもしれない。星新一も「うさぎとかめ」の改作を書いているしね。

 

二つ目は、バックストーリー。傾向としては、以下の記事のような文章。

 

furukawa-maeda.hatenablog.com

例えば、電車の中。

隣の席のリクルートスーツの若者が、自分の欠点をメモに書き出しているうちに涙を落とし始めたとしたら、俺は、「ああ、就活が上手くいかないんだな。親に大切にされてきたんだな。だけどそれが裏目に出て、自分が何を目標にしているのか分からなくなってるのかな。自分の欠点とかわざわざ書き出して苦しい思いをしなくてもいいのに。でもこの涙をバネに明日は面接で輝いたりして…」などと妄想をかき立て始めてしまう。

その場所にその人がどういう想いで存在し、行動しているのか。それが一瞬で分かった気になってしまう場面に遭遇してしまうと、まるで他人の人生の走馬灯が自分の脳内に流れ込んできたかのように、想像はどんどん拡大していく。

過去の脈絡とか、未来の暗示とか、そういったものが「今」にすべて収束し、出現する瞬間に深い感動を味わうことが多いのだと思う。

 

大抵はこの二つの物語形式を好んで書く。「いや、物語全般そうだろ」と言われてもおかしくないほど大雑把な説明だが、まあ、物語の寓話的要素と、バックストーリーの要素に惹かれているんだ、くらいで勘弁してほしい。

 

今度脚本を書く時には、ある程度このことを頭に入れて書いてみたら、特に苦しむことなく書けるのではないか、と淡い期待を持っておくことにする。(1444字)