じぶん実験は難しい

最近になって、目標達成の為に行動分析学を勉強し始めた。

新しくバイトとして入った児童福祉施設で、応用行動分析(ABA)を基にした指導方針を立てていたことがきっかけとなり、この非常に実用的な学問を知ることとなった。

 

そもそも行動分析学とは、文字通り行動を分析対象とする心理学の一つであり、行動の原因を性格ではなく、行動直後の結果にあると考えるもの。

原因が先ではなく後にあるってどういうことだ、って話になるけれど、ざっくり説明すると、人は意識的にも無意識的にも、その人にとっての都合の良い結果が現れたり、逆に都合の悪い結果が出なくなったりする行動を取るということ。

スーパーでお菓子を買ってもらえず泣き叫ぶ子供がいるけれど、スーパーで泣き叫ぶという行動の原因を、例えば知能が低いとか、わがままな性格だからと考えるのではなく、泣き叫べば親の注目を得られたり、お菓子を買ってもらえる可能性が高くなると知っているから、と推測するのが行動分析学

心理状態ではなく行動を分析対象にすることで、循環論(例:努力出来ないのは意志が弱いから、意志が弱いと分かるのは努力出来ないから)や人格攻撃を防げるというメリットがある。

 

俺はこれをブログの執筆や勉強計画に利用しようと考えているんだけど、本ブログの更新頻度から察せられる通り、結果は出ていない。ここでいつもの俺なら「ああ、意志が弱いんだな」「自分は三日坊主なんだ」と考えがちなのだけど、それではいつまでも問題は解決しない。そのような自虐的な思い込みが別の行動にも歯止めをかけてしまうし、何より続けられない原因を、性格というどうしようもなくて曖昧過ぎるものに見出していては解決策も考えられない。

 

行動分析学では、自分にとって都合の良い結果を好子、反対に都合の悪い結果を嫌子という。例えばダイエットの為に毎日腹筋をしたいと考えている場合、行動分析では、自分が腹筋をすることでどのような好子・嫌子が現れているのかを分析し、それらを調整することで「腹筋をする」という行動を増やそうと試みる。

その上で、「腹筋を続けたことで理想的な体型を手に入れた」という結果が好子になると考えられそうだけど、どうもこれが違うらしい。

行動の直後、長くとも60秒以内に結果として出現しなければ、どんなに行動と直接関係がある結果でも、それは好子・嫌子とは考えられないらしい。

腹筋をたった数セットやったところで、その場ですぐに痩せたりはしない。腹筋をして60秒以内に出現する結果と言えば、疲労感や筋肉痛、腰の痛みといった嫌子ばかりだ。だからダイエットは上手くいかない。

 

こうやって他人の例とその解説を本で読み、「うわあ、シンプルで納得がいく説明だ」と感心するにはするのだけど、いざこの分析を自分に当てはめようとしたとき、途端につまずいてしまう。

 

好子・嫌子っていうものは、自覚できるものばかりじゃないところが厄介だなーと思う。「腹筋を続けたことで理想的な体型を手に入れた」を人は好子だと勘違いしてしまうけれど、それは好子と思い込んでいるだけで、実際はそうではない。

それと同じように、「やってみるとなんだか楽しいぞ」と感じて最初のうちは頑張っていたのに、いつの間にかそれを続けられなくなり、いわゆる三日坊主のまま終わってしまうのは、その「楽しい」という感覚がいつも好子として出現しているわけではないし、好子だと思い込んでしまった末路なんだと思う。

 

ということは結局、何が好子で何が嫌子なんだ、と思い悩んでしまう。

自分が行動している姿を脳内でビデオのように想像し、どんな好子・嫌子が出現しているか客観的に分析しろ、と行動分析学では言っている。けれど、嫌子となっているはずの腹筋の疲労感とか痛みって客観的なものではないよな、とか考えてしまう。

好子を増やすという選択肢も考えられる。腹筋が終わったら見たいテレビ番組を見る、とか。

でも確実に好子が出現する「見たい番組を見る」という行動を、腹筋よりも優先してしまわないか?でも何故、腹筋の後に見たい番組を見るようにしたら、続けられる人がいるんだろうか。ということは、腹筋した後以外では見たい番組を見てはいけないというルールがないといけない。でもそれを守ること自体「見たい番組が見られない」という好子が得られない行動の一つなんじゃないか?

そんなことをいちいち考えてしまう。

 

先は長そうだけど、これが多分自分にとって一番有効な方法だと思うし、もっと実践の数を増やした上で考えていきたいとは思う。(1850字)

 

参考文献