星新一『すなおな性格』(星新一ちょっと長めのショートショート3『悪魔のささやき』より)理論社

以前の記事にも書いたが、昔、星新一にどっぷりハマってしまった時期がある。

furukawa-maeda.hatenablog.com

 

その中でも、小学生の頃に初めて手に取った一冊を最近読んだので、今回はそれを紹介する。

 

 

表題作含め、9編のショートショートから成る一冊。その中でも『すなおな性格』が一番好き。まあ生まれてはじめて読んだ星新一作品だからかもしれないけれど。

 

ネタバレします。

 

『すなおな性格』の粗筋。

大学を出たばかりの男が占い師の元へやってくる。

自分は頭も悪くないし、苦手な教科もない。一方で得意なものもこれといって思いつくものがないから、これからどんな仕事をするべきか迷っている、と悩みを打ち明ける男。まるで占いを疑う様子を見せないことから、占い師は珍しくすなおな性格の人だと驚く。

占い師は、この青年は考えが甘い、社会人の苦労を経験させた方がいいだろう、と、歩合制のセールスマンとして働き、金が貯まったら株をやるように男に薦める。

早速その通り実行する男。どんなに失敗しても、これが運命、と信じ込んでいるので、どんどん実力を上げていく。そして占い師の言う通り、金が貯まったら株を始める。これもめきめきと上達していく。三十歳になり、将来を案じ、また別の占い師を訪ねる。

「遊ばなくてはいけません」。占い師の言う通り遊び惚ける男。これも上手くいってしまう。四十歳近くなると、また別の占い師へ。このように男は、占い師の言う通りに人生を楽しみ、やがて将来に迷うと、再び占い師を訪ねる。仕事や遊びの他にも、スリル、犯罪、監獄生活、慈善事業、と様々なものに触れ、やがて男は年老いてしまう。

健康を心配した男は、また占い師のところへ。コンピューターを導入した非常に正確な占いだと豪語する占い師は、その結果を見て驚愕する。

そこを出た男は、一歩歩めばひとつ若返り、二歩歩くと二つ若くなった。占い通りにすっかり若くなった男は、またどうしたらいいか分からなくなり、近くの占い師に話しかける……。

 

今の自分からすると、この男のような主体性のなさが、現代の若者にとってはかなり親しみ深いものになったな、というのが再読の印象。

就活をしていた時期もあったが、どんな就活生も「夢がないから」と嘆いては、仕事の内容よりも勤務環境や福利厚生を重視して企業選びをしているように見えた。それに企業側も薄々気づいている、というか完全に開き直って、やってきた学生に対しても「どうせこの会社のことなんて知らないよね」みたいな寛容さをアピールしていたりする。「夢とかやりたいこととか、やりながら見つけていければいいからさ」というのが、主体性のない現代の若者の中でも特に優柔不断な学生を引き入れる、とっておきの殺し文句になっていたりする。

 

でもそこに夢を見るってことは、一方で「自分はやりたいことさえ見つかれば、我も忘れて没頭し、そこそこ実績をあげられるはずだ」という幻想がある。自分にはそれをやり通すだけの力が、つまり作中の男のような素直さと勤勉さが備わっているだろう、と、能天気に信じている若者はかなり多いのではないだろうか。

 

ところが現実は上手く行かない。なぜならそれは、神の言葉ならば非合法だろうと何だろうとそれが運命、と信じ込んで没頭するような、男の持つ究極の素直さがないからだ。

人から与えられた仕事を続けていくうちに壁を感じ、「こんなことがしたかった訳ではない」と、自分がやりたかったことに気づく。経験を通して人は自分の主体性と出会う。こだわりを見つけ、人生の舵を大胆に切る。その先に成功が待っているのか失敗が待っているのかは人それぞれだけど、男のように何もかも他人に導いてもらい、方針が決まれば自分の持っている全てをそこに費やし続けられる人間なんて、ほとんどいないだろう。

 

だから人々は、この物語から素直さという人間の絶対的な価値を感じられる一方で、男のように生きることは決して叶えられない。理想だが模範ではなく空想であり、神話のようなものなんだと、これを読んだ者は強く心に留めなくてはならないのだな、と感じた。

 

だからまあ、あくまで男のように生きることを夢見て、自分が今やりたいことを「これが運命」と開き直り、没頭できる環境を手に入れたいなと思った。実際これを読んだ小学生の頃から、そんな理想を抱えてきた気がする。素直になろうではないか。(1768字)

 

※余談

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