イキウメ『外の道』@シアタートラム

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昨日(2021年6月13日)の18時回。

 

同級生の寺泊満(安井順平)と山鳥芽衣池谷のぶえ)は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。
寺泊はある手品師(森下創)との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻(豊田エリー)が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった…。

(公式より抜粋、()は筆者による挿入)

 

以下ネタバレします。

卒業制作の稽古でサルトル実存主義をキーワードに据えていたこともあるが、この作品にはそのサルトルの小説『嘔吐』*1の展開と似た場面がある。

「目」を手に入れ、世界の見え方が変わってしまった寺泊は、その世界のあまりの「解像度の高さ」にもらいゲロをしてしまう。一方、『嘔吐』では、世界の本質(名称、意味、役割等)を見失った結果、境界が消え、目に見えるものが一つの「怪物じみた柔らかい無秩序の塊」のように見えてしまい、吐き気に見舞われるようになった男が描かれる。

この二つは対照的な例にも見えるが、世界の本質を取っ払い、剝き出しの存在そのものに目を向けた、という意味では共通している。その結果が、嘔吐、なのである。

この作品は序盤から不穏さを漂わせている。幾度となく響く空鳴り、物体を透過する手品師、「無」に侵食されていく家、「無」によって生み出された息子を名乗る男、「目」を手に入れて以降の寺泊の変化……。幾度となくやってくるその不気味さ、恐怖に、その度に心臓を掴まれるような思いをしていくのだが、この恐怖とはやはり、人間の従来の本質を失い、剝き出しの世界を目の当たりにした恐怖だ。過去、記憶、人間関係、仕事、社会構造といったそれらの人間を縛る社会的制約から逃れるためには、今実際に生きる自分自身や世界そのものの存在と、その喪失、「無」に向き合わざるを得ない。

今まで目にしてきた、信用してきた世界が崩れ去り、捉えどころがなくなっていく恐怖。それは生理的で生々しいものであり、思わず吐き気に見舞われるのも致し方ない。

その上で、その恐怖を自分の中に認めながらも、新しい世界の本質を見定め、しかもそれをこれまでより良いものとして想像・再構築していく、というラストには、非常に美しい締め方だなぁと思った。

 

イキウメというか、前川知大作・演出の舞台は、『終わりのない』以来二度目である。

これがイキウメの味・やり方なのかは分からないけど、未知の現象や生物、物体との邂逅そのものにドラマを描く従来のSFやホラーといったオカルト作品とは違い、事件をきっかけに、事件とは関係のないところでその人生を転換させていく、という展開の作劇をしている点が非常に素晴らしいと思う。

分かりづらい説明となってしまった。要するに、前者は「迷い込む」話だが、後者は「通り抜ける」話である。お化け屋敷や観劇に例えた方が分かりやすいかもしれない。お化け屋敷に入れば限界まで怖がらせられ、まるで死ぬような思いを抱くが、進めば必ず出口がある。観劇も、自分の人生では確実に起こり得ないような出来事を疑似体験し、まるで自分の事のように物語の世界観に没入していくが、時間的な制約もあるし、一度劇場を出れば見慣れた街並みの風景が戻ってくる。イキウメの芝居ではそれらと同じように、事件によって人物が死を遂げたり、あるいはそれに限りなく近い悲惨な結末を迎えることはない。かといって事件の明白な解決もないし、戻ってきた日常が以前と全く同じとは限らない。こういった「通り抜ける」物語の中で起こる変化とは、その未知なる何かを「知る」ということそのものだけである。

未知なる出来事の前と後では確実に何らかの変化が生まれているが、それは未知なる世界観のまま到達するものではなく、あくまで我々の生きる現実に戻ってきた上で進行していくものだ。未知の体験に翻弄されて終わりなのではなく、未知の体験はあくまで体験として受け止め、その上で人生を能動的に選んでいく人物たち。

だからこそその選択は、事件のスケールの大きさとは一転して、例えば「両親の離婚を受け入れる」とか、「孤独を受け入れる」とか、「仕事を全うするのをやめる」とか、「不可解な現象を諦める」とか、そういったあっけないものであることも珍しくない。

でもその方が現実的であるし、人間は案外ドライ(と言って良いかは分からん)な受け止め方をするものなんだろう、とは考えてしまう。我々の生きている日常も、唐突にやってくる未知なる出来事も、どちらも同じ現実であり、私の中に存在する世界であって、そこに大きな違いはないのかもしれない。だからこそイキウメの芝居の人々は、二つの間の境界を行き来できるのだろう。

 

役者陣が素晴らしかった。特にイキウメ所属の役者は、あの宇宙人のような不気味さ、他人を超えた”超”他人を演じることにかけてはピカイチだったなぁと感じた。安井順平はカジャラのコントを通して初めて知ったけど、『終わりのない』も含めて非常に実直に演じられていて、あの妙にリアルなリアクションについつい笑ってしまう、と同時に、それが底知れない恐怖をまざまざと感じさせてくるので、ただただ恐れ入ってしまった。(1962字)

 

*1:未読です。情けない。