以前、こんなツイートを見かけた。
性器呼びは侮蔑だけど子宮のある人、生理のある人はOKっていうの、英語で有色人種のこと「カラードピープル」っていうのは差別だが「ピープルオブカラー」は先進的で積極的に使うべきっていう謎ルールと似てる。どっちも同じだろ…。 https://t.co/3tkj3SuTFL
— jiji (@traductricemtl) April 27, 2021
元ツイも含め、これらのツイートは、当時トレンド入りしていた以下のニュースへの反応と思われる。
そして、先程のツイートような「子宮のある人」反対派に対する反論に、以下のようなツイートがあった。
「子宮のある人、生理のある人」は「女性」とするとリーチできないひとにリーチするため、という合理的な理由があるだろうが。 https://t.co/ONGv2UqfrT
— 能川元一 (@nogawam) April 27, 2021
牟田先生、これは違います。
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) April 28, 2021
社会的存在である女性を特定の器官(子宮)や症状(月経)に還元することは侮辱的であり差別ですが、特定の器官や症状について論じるにあたってその器官や症状を有する人々に呼びかけることは侮辱ではありません。
既に多くの反論が出ているでしょうが、少し続けます。1/ https://t.co/WDQzUIe6Fp
→ まず、性器呼びは言うまでもなく、女性の経験や能力や「特質」を子宮だの生理だのに還元して語ることも当然性差別です。ヒステリーだとか女は生理があるから感情的だとかは伝統あるミソジニーですが、女性は子供を産むから平和的だというような議論も、フェミニズムは批判してきました。2/
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) April 28, 2021
→ ここでまず問題なのは、特定の器官や特定の身体症状の有無を特定の能力や「特質」に無根拠に結びつける操作です(生理があるから論理的ではない、など)。けれども同時に、特定の器官や症状、身体機能を「女性」と等置することについても、長く批判があります(「閉経を迎えても女は女だ」)。3/
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) April 28, 2021
→ 特定の器官があること、特定の身体症状を経験することは、「女性であること」と等価ではない。だとすれば、子宮がない、生理を経験しない女性もいるし、子宮があったり生理を経験したりするけれども女性ではない人もいる。 4/
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) April 28, 2021
→ そうであれば、子宮がある人、月経を経験する人々(女性でもそこに入らない人もいれば、女性でなくてもそこに入る人もいる)に対して、その人たちの心身の健康や安全に直接関わる情報を伝えたい場合に、子宮のある人、生理のある人と呼びかけることの何が侮辱なのでしょう。5/
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) April 28, 2021
今回の一件で”性器呼び”なるものがあると初めて知った。調べた結果、これは2ちゃんねる発のネットスラングとして広まった、女性に対する侮蔑表現であるとのこと。
後者の能川元一氏、清水晶子氏の説明していることって、要するに、男性・女性といった性の区別と、性器・子宮・生理といった身体的特徴・身体症状を、必ずしも結びつけてはならない、ということなのだと思う。
ものすっごく強引に解釈すると、まず地球上に不特定多数の人間がいて、その中にはAとBという2種類の身体的特徴・身体症状が見られる。一方、人間の住む社会の中では、社会的・文化的な文脈から、Cの人間とDの人間に分ける区別が形成された。
これまでは、A=C、B=D、というように、2つの異なる分け方が結び付けられていた。
しかしこの2つは、必ずしも一致するものとは限らない。そのため、ABの区別とCDの区別を結びつける主張は無根拠であり、差別的である。
それだけでなく、そもそもCDの区別だけでは限界があり、CDそれぞれに異なる扱いをすること自体、大きなシステムエラーを起こしていることが分かってきた。
性器呼びとはつまり、女性器(A)を女性(C)と強引・無根拠に結び付ける差別行為。
それに対し、「子宮のある人」「生理のある人」は、あくまで子宮(A)という特徴のある人を、子宮(A)のある人、と呼んだだけ。
CD区別という基盤が揺らぎ始めた区別を用いるならまだしも、AB区別はあくまで身体的特徴に基づいた絶対的な区別であり、その範疇で語られる言葉なら差別的とは言えない。
例えば「咳が出る」という身体症状を持つ人(A)と持たない人(B)がいる。咳が出る人(A)を指して「コロナ」(C)などと第三者が表現した場合、これは咳が出る人(A)と新型コロナウイルス感染症(C)を強引に結びつける無根拠な主張であり、差別行為である。なぜなら、咳をするかしないかの区別(AB区別)と、新型コロナウイルス感染症かそうでないかの区別(CD区別)は、必ずしも一致しないからだ。
それに、咳をする人の中には、風邪(E)やインフルエンザ(F)などといった別の感染症に苦しむ人もいる。また、喘息(G)やアレルギー(H)といった感染すらしない病気の場合もある。咳の症状に対し、新型コロナウイルス感染症の可能性ばかりを判断しようとする医者がいたならば、その医者はやがて重大な医療事故を起こしてしまうだろう。
こんなセンシティブな話題ではなく、もう少しマシな例えも見つかっただろうと反省はしている。
まあ要は、「子宮のある人」「生理のある人」が必ずしも女性を指した言葉ではないということだし、「じゃああなたは男性だから陰茎のある人ですね」とか「子宮摘出した私は女性ではないってこと?」みたいなリプを送る人は、それらがAB区別とCD区別を強引に結びつける差別意識を基にした発言であることに早く気付いてほしい。
ところで今回、己の中にある差別意識との向き合い方が、一気にシンプルになった気がする。「必ずしも一致しない二つの分類を強引に結びつけたら差別」。うん。分かりやすい。黒人差別に関しても、黒人かそうでないかという区別と、能力の有無や善人・悪人といった区別という、必ずも一致しない二つの分類を強引に結びつける行為だ。この線引きだけで全てが解決するとは思えないけど、議論を進めるヒントにはなり得ると思う。
あと、もはや性の区別とは無関係に、あくまで特定の器官を指した表現というのが、何だかSFみを感じるなと思う。面白がっちゃいけないけど。身体と精神のつながりがどんどんほどけてきているな。男性器・女性器という呼称も、最早α性器・β性器みたいな、性別とは関係のない呼称に変わるのだろうか。(1632字)