なぜ人は美しくなりたいと願うのか

けっこう最近まで、人は見た目なんてどうだって構わないと思っていた。

 

顔は生まれつきのものだし、変えようがない。太っているとか、痩せているというのも、体質的なものがあるし、劇的に変えることなんてそう簡単には出来ない。

ネットやテレビで見るような、整形したりダイエットしたりして、まるで生まれ変わったかのような変身に成功した人々は、きっと他人には想像できないような苛酷な試練に耐えてきたのだと。

だったらわざわざそんな苦労を背負うよりも、生まれつき持っている自分の身体を隅々まで愛して、その美しさを世間に訴えることの方が重要なのではないかと思っていた。

今は多様性を発信する時代。かつてはスリムな体型ばかりがもてはやされてきたが、最近ではあらゆる体型や身体の特徴をもつ人々が、その人なりの”美”を極め、発信するようになってきている。

化粧もファッションもどんどん進化しているし、オンラインショッピングやYouTubeのレクチャー動画など、自分なりの美を追求できる機会はいくらだって手に入る。

ならば自分から人生を投げうってまで変わろうとしなくていいじゃないか。わざわざ高い代償を払ったり、リスクを伴う手段を選ばなくたって構わないのでは。自分の美しい部分にだけ目を向けて、それを伸ばしていけばいいんじゃないか、と。

そんな風に思っていた。

 

そんな自分も、実は今年度になって筋トレを始めた。バイトを掛け持ちしているので体力を作らなくてはいけないと感じたことと、あわよくばマッシブな身体を手に入れたいというのが、正直な理由である。

そんなこんなで、自分のペースで何とか続けていたものの、1カ月ほど過ぎるとサボることも増えてきていた。するとある時、ふと鏡を見ると、見慣れていたはずの自分の身体に違和感を覚えた。

太っている…? 身体が一回り大きくなっているように見える。胸や腹に手を当ててみると、筋肉なのか脂肪なのかよく分からない肉がそこにある。元々太りにくい体質で、これまではあばら骨が浮いて見えるくらいの瘦せ型だったにも関わらず、骨の形が目立たなくなっていた。

痩せている自分に特にこだわりはなかったものの、「このまま将来太っていく一方なのでは…」と、その時は一瞬背筋が凍ったのを覚えている。

後になって調べてみると、これまでは筋肉があまりにも発達していなかったため、少しのトレーニングでも成長しやすくなっていただけであり、かつ脂肪もつきやすくなっていたのだった。しかし、かつては気にすることもなかった体型変化に対して、驚くほど強烈な印象を抱いたのは確かである。

 

自分が醜くなるということは、これほどまでに不快なものなのか。

 

有村架純の姉・有村藍里の整形手術にフジテレビ『ザ・ノンフィクション』が密着取材し、Twitter上で話題になったことを思い出した。

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特に印象に残ったのが、術後の経過診断で有村藍里が口にした「口元が収まって口紅を塗るのも楽しくなったし、もっといろんな事、髪型やメイクも挑戦できる」という言葉と、それに対する医師の「これが本物の有村藍里なんじゃないの?」という返答である。

その言葉の真意というか、二人に共通する想いがやっと分かるようになってきた。

 

人って知らず知らずのうちに、美化した自分の姿を心の中に置いているのではないだろうか。客観的な自分をパッと想像する時、鏡で見るいつもの自分の姿からノイズを消し去り、バランスを整えた、多少抽象化された自分を本来の自分の姿として描く。だからある時ふと鏡を見ると、これが本当の自分か…?と一瞬違和感を感じることも珍しいことではない。そもそも鏡で見る自分も脳によって補正された姿だとよく聞くし、それを更に記憶のあやふやさによって溶かしていくと出来上がる、あまり忠実でない自分の姿を「本来の自分」だと納得する。

だから自分の顔を鏡や写真で見た時に「醜い」と感じるのは、単にそれが美しくないからではなく、現実と、これが「自分」だと納得した姿に、ズレがあると感じるからではないだろうか。

 

整形手術を終え、口紅を塗るのが楽しいと語った有村藍里は、医師の「これが本物の有村藍里」という言葉に思わず涙を流した。

だから人は美を追求する。それは誰もから認められる美しさを求めるのではなく、「これだ」と思える自分を手に入れることなのだ。

整形をしたり、化粧をしたりということを、まるで鎧をまとうことのように感じていた。しかしそれは間違いであって、本来は足枷を外して自由になることなのだろう。ゼロからプラスへの発展ではなく、マイナスからニュートラルへの限りなき移行。「飾る」のではなく「整える」ことが、美を求める者たちの究極の目的なのではないかと。

そう考えるようになったら、自ずとそれを求める自分に気づくことが出来るようになった。筋トレをし始めたのもそういった動機が根底にあったのではないか。こんなか弱い自分ではなく、本来の自分のたくましさを得るために、今日も身体を鍛えるのだ。(2023字)